17 Feb. 2012

形態の明滅/星野太

中沢研は、1992年のINAXギャラリーにおける個展を皮切りに、これまで数多くの絵画・彫刻・インスタレーション作品を発表してきた。1999年の東京都現代美術館におけるMOTアニュアル「ひそやかなラディカリズム」や、2001年の横浜トリエンナーレをはじめとする国際展への参加などを経て、現在ではおおよそ年に一度のペースで新作を発表している。90年代は木材や鉄材を用いたインスタレーションがその多くの割合を占めていたが、ここ数年は隔年で絵画作品を発表するなど、その作品の形式は現在でも変化を求めてやまない。その中沢の最新のインスタレーションである《4列》は、これまでの多くの作品と同様に、一見するかぎりごくシンプルな要素からなっているように感じられる。作品の主な素材となるのは直径約3ミリメートルの鉄材であり、その表面の多くの部分が白く塗られている以外は、そこに取り立てて特別な加工がされているようには見受けられない。

しかし、この中沢の作品が観者に対して与える最初の印象は、決して「慎ましい」ものではない。空間としてはほぼ正方形と言ってよい展示空間に足を踏み入れる者がまず目にするのは、中沢の作品がその空間に対して与える極度の緊張に満ちた静謐さである。その静謐な印象が、まずもってその抑制された色彩から生じていることは明らかだ。表面を白く塗装された鉄材と、その「塗り残し」に相当する鈍い鉄色の二色がまずはオブジェそのものに静かな緊張を与え、それが白色の壁面と灰色の床面とのあいだにさらなる緊張を生じさせている。その空間が与える印象にひとつの形容詞を与えるならば、それはほぼ確実に「ミニマル」な印象だということになるだろう。しかしそれは、ある均質な物体の連続ないし反復からなる単調なものではなく、むしろ空間と積極的な関係を切り結ぶダイナミズムを内包した印象である。

とはいえこうした印象は、観者自身が鉄製のオブジェに接近することで、たちまち異なった種類のものへと転じることになる。というのも、遠目にはほぼ均質な要素からなるかに見えたオブジェの表面は、実のところかなり複雑な質感をともなっているからだ。その質感の多くは、もちろん鉄という素材がもつ独特なテクスチャーに起因する。表面を研磨された木材やプラスティックなどとは異なり、中沢がここで用いている鉄という素材は、それ自体が独特な肌理をもった線として空間の只中に浮かび上がる。そのため、観者が最初に抱くミニマルな印象は、その視線とオブジェとの距離が縮まるのと相関して、段階的に棄却されていくことになる。

中沢の作品が受容されるのは、まずはこうした両義的な印象のもとにおいてである。つまり、一定の距離のもとで見られた鉄材は、四辺をほぼ等しくする空間中の準‐直線として知覚されるのに対し、観者がみずからの意志でそのオブジェとの距離を縮減していくにつれて、その線は紛れもない物質として立ち現れてくる。言うなれば、そこでは物理的な距離が作品のアスペクトを質的に変化させているのであり、そのことが、中沢の作品を彫刻あるいはインスタレーションとして一義的に規定することを決定的に妨げている。そこではむしろ、作品をいかなる様相のもとで経験するかというこちら側の態度そのものが問いにかけられていると言えるだろう。そしてその宙吊りの只中でこそ、「絵画」「彫刻」「インスタレーション」といった恣意的な同定の作業は疑問符を突きつけられることになる。

以上のような効果を発生させるにあたって、中沢の自覚的な操作の痕跡がうかがえるのはそのオブジェの配置方法にある。オブジェを構成する鉄材は、垂直方向の二辺と水平方向の三辺からなる約130センチメートルの高さの「白枠」を基本単位とし、その左右の辺が奥行きを担う錆色の部位によって連結されることで、ほぼ直線的な列を形成している。この作品のタイトルである《4列》が文字通り示すように、それら39の基本単位は、長さの異なる四つの線としてギャラリーの空間を平行に走るように並べられている。ここで特筆しておくべきは、事前に用意された40体のオブジェのうちひとつを、中沢が最終的にこの空間から排除しているという事実である。残された39体のオブジェは入口の手前から10・7・10・12という長さの異なる列に分断され、あたかも八本の焦茶色の線が壁面から延びるかのごとく配置されている。

作品の設置に際する上記のような決定の背後に透かし見えるのは、単一のオブジェを(4×10といった)所与の規則にしたがって配置するという算術的な原理ではなく、むしろ絵画的な規則に則った構成の原理である。展示空間の入口付近から見た場合、長さの異なる焦茶色の線は線遠近法に則った範例的な三次元のグリッドを描き出す。そしてそのグリッドは、ギャラリー内に設えられた巨大な柱が前景として観者の視界に立ちはだかることで、よりいっそう強調されることになる。言うなればそれは、身体の移動によって解体するように定められた仮設的な絵画空間である。そのことは、通常インスタレーションと呼ばれる多くの作品が離散的な構造を持っていることと顕著な対照をなしていると言えるだろう。空間中にこの遠近法的な原理が導入されることによって、《4列》をめぐる作品経験はよりいっそう複雑なものとなる。中沢は、彫刻/インスタレーションのあいだに決定不可能な斜線を引くにとどまらず、そこに絵画的経験の次元をも導き入れている。

かつて、中原佑介が中沢の初個展を評するさいに導入した「フレーム」という言葉は、ここで観者の側の認識のフレームとして展開されている。その「中沢研とフレーム」というテクストの中で、中原は文字通り中沢の作品に見られる「フレーム」の存在に着目しつつ、中沢の作品が実用的なフレームの喚起と、そこから離脱した構成物との「あいだの領域」から生じていると指摘する[*1]。《4列》における「白枠」をこれと同種のフレームだと見なすならば、そのような中原の見立ては20年後の現在における中沢の作品にも敷衍可能だと言えるかもしれない。しかし少なくとも《4列》に限って言えば、それは絵画・彫刻・インスタレーションという複数の位相を内包することで、それを経験する者にそのつど仮設的な「経験のためのフレーム」を要請してくる。「フレーム」という概念は、これまで中沢の作品を説明するさいの常套句として繰り返し用いられてきたものだが、中沢の多くの作品の構成原理からすればそれはある意味で当然だとも言える。しかしここで強調したいのはむしろ、たえず転換を強いられる、そうした見る側の認識のフレームの方である。

ここまで確認してきたように、中沢の《4列》は、単純な算術的原理によって統制された作品ではない。したがって、その素っ気ない表題に反して、それをジャッドの直方体の反復に代表されるある種のミニマリズムの系譜へと安易に連ねることはできない。かつまた、それを物質の肌理や現前に対する志向を強くする「もの」への偏愛と結びつけることもできない。《4列》は、単純な反復ではなく適切な配分を、「もの」への過剰な接近ではなく適切な距離を選びとる「理性=比率(ratio)」によって統御されている。ゆえに、菅木志雄への傾倒を隠さない中沢自身の発言を口実に、その作品をかつての「もの派」の系譜上に位置づけるとしたら、それはいかにも軽率な短絡であると言わざるをえない。中沢の作品は、通俗的な意味でのミニマリズムともの派の双方から距離を取りつつ、そのいずれにも与することがない。巨視的にも微視的にも繊細に作り込まれたその作品を注意深く検討すればするほど、そうした安易な命名はおのずから背後に引き退くことになる。

《4列》は、作品の安定した形態を享受するという怠惰をわれわれに決して許さない。むしろその反対に、形態はそれを見る者の位置によって絶えず出現と消滅を繰り返しつつ、そこにさまざまな輪郭を浮かび上がらせる。安定した所与のフレームに抗する中沢の奮闘は、鉄材によって作られるオブジェの形そのものに顕著に現れていると言えるだろう。おそらく少なからぬ観者が考えるように、そのオブジェの大きさや輪郭は、どこか人体を想起させるものである。そしていったんそのような見立てに陥れば、目の前の鉄材の「列(line)」は、たちまち人々の「列(column)」へと擬人化されることになる。しかしそのオブジェは、やはり人型と呼ぶにはあまりにも抽象的であり、そのような想像の飛躍はぎりぎりのところで寸断される。ただの鉄材を人として認識してしまうわれわれの志向的な意識はそのとき宙吊りとなり、安定した形態の発生はその寸前のところで押しとどめられる。ここで重要なのは、ただの線と点が時に意味を付与された形態として現れたり、時にただの物質として知覚されたりする、その交替の運動そのものである。中沢の作品は、そうしたわれわれの認知作用そのものを批判にかけるのだ。《4列》は、その作品を注視する者のうちに以上のような経験を惹起する。ただしその最大の引き金となっているのは、算術的な規則性「だけ」でもなければ、物質的な現前性「だけ」でもない。そこで起こっている形態の明滅は、この美術作家の紛れもない「理性=比率(ratio)」の産物である。


*1:中原佑介「中沢研とフレーム」『INAX ART NEWS』、INAXギャラリー、1992年。