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リカルダ・ロッガン

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14 Oct. 2011

想起と再生/星野太

リカルダ・ロッガンは1972年に旧東ドイツのドレスデンで生まれ、現在はライプツィヒを拠点に活動する写真家である。彼女は1990年代半ばより写真家ティム・ラウテルトに師事し、2004年にはライプツィヒ視覚芸術アカデミーで修士号を取得している。きわめて独特な印象を与えるその作品と対面するにあたって、この「ライプツィヒ」という地名が彼女の作品においてもつ意味は、おそらく十分な検討に値するものであるように思われる。第一にそれは上記のような彼女の出身や経歴に関わるものだが、より広い文脈で捉えるならば、同時にそれは「ドイツ写真」と呼ばれる系譜のなかでロッガンが占める位置を測定するために必要不可欠な予備作業でもある。

2005年、東京国立近代美術館を皮切りに日本各地を巡回した「ドイツ写真の現在」展に、ロッガンは当時最年少の作家として家具のシリーズを出品している。このさい、ベッヒャー夫妻やその弟子筋にあたるアンドレアス・グルスキーの作品が人々の注目を集めたことは記憶に新しい。しばしば「ベッヒャー派」ないし「デュッセルドルフ・スクール」と称されるグルスキーやトーマス・シュトゥールトらの作品はすでに日本でもある程度定着した感があるが、こうした旧西ドイツに特有の表現形式に対しそのオルタナティヴをなすのが、ロッガンをはじめとする旧東ドイツ出身の作家たちである。

旧東ドイツと聞いて真っ先にわれわれの脳裏に去来するのは、ともに東側で幼少期を過ごし、後に西側のデュッセルドルフを拠点に活動したゲルハルト・リヒターやジグマー・ポルケらの存在である。さらにそれに加えて、「ライプツィヒ・スクール」と呼ばれる──こちらは広く知られているとは言いがたい──ヴェルナー・テュプケやヴォルフガング・マットイアーなどの名前を挙げることもできるだろう。もちろんこれらの固有名は旧東ドイツのある側面をわれわれに伝えるものにすぎず、彼の地を舞台に花開いた20世紀の芸術的潮流は、その多くがいまだ知られざるものに留まっている。そして彼らよりも若い世代に属するロッガンもまた、「西」とは異なる「東」ドイツのアイデンティティをまとった作家のひとりに数え入れることができるだろう。『20世紀に生まれたもの』という彼女のある作品集の題名はそのようなアプローチの可能性をひそかに裏づけているが、以下ではそれを作品に即して具体的に見ていくことにしたい。[*1]

ロッガンは2003年から2005年にかけてDAAD奨学生としてロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに学んでいるが、その方法的な基礎はすでにそれ以前に形づくられていたと考えてよいだろう。写真という表現手段に対する彼女の深い省察は──「美術家」というよりも──まぎれもない「写真家」としてのそれである。そのような意味で、ロッガンはたしかに「ドイツ写真」という系譜の上に連ねられるべき存在であるのだが、しかし同時に前述のデュッセルドルフ・スクールとは著しく異なる特徴を備えているということも抜かりなく指摘しておくべきだろう。ごく乱暴に言えば、ベッヒャー夫妻に源流をもつ旧西ドイツの写真家たちの多くが「類型学(タイポロジー)」をその方法的基礎としているのに対し、ロッガンの写真は、基本的に事物に対して類型学的なアプローチを選択しない。こうした傾向はとりわけ《ガレージ》のシリーズに顕著であり、そこで写しとられる車体は、いずれも適切な照明や角度によってそれぞれに固有の(すなわち非類型的な)姿を呈している。では、そうした類型学とは異なる方法を選ぶロッガンにとって、所与の事物や光景はいかなる仕方で写し取られるべきものなのだろうか。

ロッガンのカタログのひとつに『ものの楽園』と題された一冊がある。ファルク・ハベルコルンによる同名のテクストが指摘するように、写真はその被写体がいかなるものであるかを問わず、あらゆるものに一定の等価性を付与する[*2]。写真はそのメディウムとしての性質上、被写体となる事物の表面を写しとることしかできない。言い換えれば、事物が保持している固有の歴史は光学的な一瞬の痕跡へと還元され、それ以外のすべての歴史は被写体からきれいに剥奪される。とはいえ以上の事実は、見方を変えればたちまち写真の長所へと転化する。写真は事物の表層を平面へと転写することで、事物の歴史にイメージとしての「死後の生」を与えるとともに、実体から切り離されたイメージによってそれを「残存」させるからだ。かくして、あらゆる写真はこの世界に錯乱した歴史を導入するとともに、そのある任意の一点にイメージとしての生を付与する。そして一枚の写真は、被写体となった事物の歴史とはほとんど無関係に、写真としての新たな生を獲得することになるのだ。

以上を第一の時間の錯乱、すなわち写真というメディウムに特有の錯乱としよう。これに加え、ロッガンの作品には、その制作の過程で生じる第二の時間の錯乱が存在する。

ロッガン自身の言葉によれば、彼女の作品の被写体となる眼前の事物や光景は、つねにその「実際の出現」に先行している。どういうことか。彼女はこれまで、車や樹木をはじめとする単一の被写体、机・椅子・ベッドなどの複数のオブジェを配置した空間、ひいては薄暗い畜舎や屋根裏などの独特な空間を数多く撮影してきた。一見、これらの各シリーズに共通する要素を見つけるのはきわめて困難であるのだが、彼女によれば、その多くに等しく当てはまる事柄がひとつだけ存在する。それは、ある時にはきわめて人為的であり、ある時にはきわめて自然に見えるこれらのイメージが、彼女自身による所与の光景との出会い、およびそれに対する介入によって発見的かつ技巧的に獲得されるということだ。ロッガンは、自身のうちに萌芽をもつ潜在的なイメージをある瞬間に想起し、それを何らかの仕方で再生する。つまりそれは、虚構/現実という二分法をかぎりなく無効にするような、錯乱したイメージの発生の過程なのである。

たとえば、キプロス島で制作された近年の《再設置》は、現地のとあるカフェの二階で埃をかぶっていた日本製のレーシング・ゲームの筐体を被写体としている。即物的なセットと技巧的なライティングによってスポットを当てられたゲーム筐体は、まぎれもない過去の痕跡であると同時に、どこか未来から到来したかのような両義的な印象を見る者のうちに生じさせる。この作品の出発点に、ロッガン自身によるこの不可思議な物体との出会いがあったということは想像に難くない。しかし同時に指摘しておかねばならないのは、ロッガンがその古びた筐体の赤い塗装を部分的に彩色し、さらに経年変化が足りないと見えた座席部分については、古びた印象を与えるべくそこに十分な劣化加工をも施しているという事実である。それは、彼女が筐体との出会いによって事後的に発見したイメージを再現するために必要不可欠な介入なのだ。

「考古学的」という形容詞がすぐさま思い浮かぶ《出口》や《堆積物》においても、それはおおむね同様である。一見、キプロス島の遺跡や発掘現場をありのままに写しとったとおぼしき光景は、実のところ事前に部分的な清掃が施されており、半ば人為的な「セット」に近いものとなっている。ロッガンの写真に見られるあらゆる光景は、彼女にとって代替不可能な驚異であるとともに、最終的な完成へと向けて操作されるべき素材でもあるのだ。

とはいえ強調しておかなければならないが、以上の事実は、ロッガンが自身の理想とする写真をあらかじめ強固に携えつつ被写体に接しているということを意味しない。彼女が自身のうちにストックしている映像は、撮影以前の時点ではあくまでも潜在的なものにとどまっており、それは彼女の眼差しが実際の光景と出会うことによってはじめて現実化する類のものだからだ。いわば彼女の作品には、イメージの(再)発見によって、自身の求めていた写真が生成されるという錯時的なプロセスが包含されている。眼前に出現した光景の現実性を保持しつつ、同時にそこへしかるべき介入を試みること。興味深いことに、目の前の光景と自身の想像を調停させるためのそうした作業の総体を、ロッガンはある種の「儀式(セレモニー)」と呼んでいる。

フロイトであればおそらく「事後性」と呼ぶところの、こうした錯時的なイメージの到来はしかし、ロッガンの写真を他の写真一般から決定的に隔てる要素ではおそらくない。われわれはつねに何かしらの期待をともなってイメージに接する。それがいかに驚異的な光景であろうと、視覚的に獲得されるイメージは意識の閾下にある無数の堆積的な映像との連関において知覚される。いわばそれは純粋に視覚的な「デジャヴ」である。ロッガンはそうした事後的なイメージとの接触にみずからを沈殿させながら、実際の視覚的経験によって現実化した潜在的な記憶の再現を試みる。さきほど「第二の時間の錯乱」と呼んだ事態は、こうしたイメージの想起と再生の別称にほかならない。ロッガンの写真を成り立たせているのは、写真と人間のうちに生じる以上のような二重の錯乱への絶え間ない注意なのである。


*1:Ricarda Roggan, Creatures of the 20th Century, Leipzig: Galerie EIGEN+ART, Tokyo: ANDO GALLERY, 2009.
*2:Falk Haberkorn, “Das Paradies der Dinge,” in Stuhl, Tisch und Bett, Leipzig: Galerie EIGEN+ART, 2003.