27 Jan. 2017

孤児の絵画/星野太

篠塚聖哉の絵画は、おそらく、その前に立つ者に少なからぬ戸惑いを引き起こす種類のものだ。しかもその戸惑いは、おそらくそれまで同時代の絵画を数多く見てきた者であればあるほど、いっそう大きなものとして経験されるはずである。この短い文章は、もっぱらその理由を定めることを——「目的」ではなく——ひとつの「モティーフ」としながら駆動されていくことになるだろう。

篠塚の絵画は、他のいかなる絵画にも似ていない。もし、「いかなる絵画にも」という限定がいささか大仰にすぎるとすれば、それは「同時代の」多くの絵画とは似て非なるものである、と言いかえてもよい(おそらく後者であれば、それはいくばくかの妥当性をもって受け止められるだろう)。とはいえ、ある作品を前にして、ただそれが「他の何ものにも似ていない」と表明するだけなら、それはある種の紋切型を反復するだけになってしまう。そこで、もう少し具体的に、それを次のように敷衍してみたい。ふつう、わたしたちが一枚の絵画を見るとき、そこには目の前のイメージの背後にある複数の「情報」の層が何らかのかたちで浮かび上がる。たとえばそれは、その作家の来歴であったり、かつて影響を受けた作家の存在であったりするだろう。しかし篠塚の場合、その作品がいかなる経路を通って「このような」姿になったのかを想像することが、著しく困難なのだ。さらに言えば、それはある特定の時代や地域に結びつけられる様式的な特徴からも切り離されているように見える。比喩的な言い方をしてしまえば、それは美術史の中にはうまく場を得ることのない「孤児」として、たまたま「このように」存在しているように見える。

篠塚の作品が帯びる形態的な特徴は、おおよそ次のように記述できるだろう。まずそのモティーフについて言えば、篠塚の絵画には、いずれにも何らかの風景や対象がぼんやりと、しかし比較的はっきりと描かれており、その対象を同定することはさほど困難な作業ではない。ある作品で描かれているのは明らかにどこかの山々であり、また別の作品で描かれているのは明らかに路傍の石である。他方、今回の展示(アンドーギャラリー、2016年)のようにモティーフが複数の対象にわたる場合、その事情はやや異なってくる。そこでは《爪》(2015)や《Blacktop》(2016)のように比較的モティーフが見定めやすいもの——それは明らかに「熊」である——もあれば、《Hold》や《October》(いずれも2016)のように——それらは「木」のようにも「生物」のようにも見える——いくぶん抽象的で、それが何であるか必ずしも判然としないものもある。しかしいずれにしても、それらは風景画や静物画の現代的なヴァージョンとして見られないことはない。したがって、篠塚の作品がまとう独特な気配は、単純にそのモティーフに由来するものではない、ということになる。

では技法についてはどうか。こちらはさらに明々白々たるものであり、篠塚はこの十年ほどのあいだ、もっぱら「指」を使って描いた絵画を発表している。もちろん、これが絵筆を用いた一般的なやり方からかけ離れたものであることは否定しえないが、ただそのことだけが、篠塚の作品に際立った印象を与えているとも思えない。ごくありふれたモティーフと、奇異ではあるが謎めいているわけではないその技法——これらの事実を念頭においた上でなお、篠塚の作品を見るたびに湧き上がってくる印象は、それが「他のいかなる絵画にも似ていない」というもの以外ではありえない。

もちろん、そこに次のような漸近線を引くことはできる。篠塚聖哉は、もともと多摩美術大学で日本画を専攻していたという経歴をもつ。だが、その出自にもかかわらず、卒業後は数年にわたりインスタレーション作品を発表し、それからアクリルやオイルパステルを用いた(広義の)油画に転じている。前者から後者への転換期はおおよそ2006年頃に定められるが、しかし皮肉にもそれは、「日本画」出身の作家に照準を合わせた東京都現代美術館での展示(MOTアニュアル2006「No Border——「日本画」から「日本画」へ」)に篠塚が参加した年のことだった。

ここから、たとえば次のような事実を指摘することは可能である。作家みずから認めるように、複数の層を着実に重ねることで特異な色相を浮かび上がらせるその描画法は、篠塚が学生時代に学んだ日本画の表現技法に(部分的にではあれ)由来している。また、やや牽強付会な見方ではあるが、最大で20点近い絵画によって空間を取り囲み、そこに独特な効果を及ぼす展示形態の背後に、かつてこの作家がインスタレーションを手がけていたという事実を透かし見ることもできるかもしれない(たとえばスケールはまったく異なるが、そのぼんやりとした色面がもたらす空間への効果は、マーク・ロスコのそれを想起させる)。

しかしそうした指摘は、いずれも本質的なことであるようには思われない。この絵画の「孤児」は、こうしてひとつの謎めいた形象として、ただ眼前に放り出されるにとどまるかに見える。とはいえ以下では、そのような収束に抗する、別の漸近線を引くことを試みたい。それは、この「孤児」を生み出した作家の来歴に目を向けるのではなく、それがいかなる状況のもとで生み出されたのかを具体的に追跡することで、多少なりとも姿を見せるはずだ。

前述のように、篠塚の作品にはいずれも具体的な風景や対象が描かれている。しかし作家本人の証言によれば、その多くはモティーフを前にして描かれたものではなく、この作家が見たものの記憶から呼び出されたものであるという。篠塚の作品に現われる山々は、作家が幼少期から馴染んでいた阿蘇の記憶にもとづいており、近年の作品に現われる単純な形の物体もまた、篠塚が定期的に行なっている山歩きのなかで目にした事物にもとづいている(註1)。これらが、具体的でありつつもどこか抽象的な印象を帯びているとすれば、それは第一にこうした「記憶」との距離に起因していると考えられるだろう。篠塚の絵画における具体性と抽象性の奇妙なバランスは、それが実のところ「事物」ではなく、「記憶」をモティーフとしているところに由来している。

もうひとつ、興味深い証言だと思われるのは、篠塚が35歳にして油画に転じた時期が、前述の山歩きを開始した時期と同期していることである。それまでインスタレーションを制作していた篠塚が絵画に転向した経緯については、これまでいくつかの要因が語られてきた。しかしここでは、山歩きを通じた身体的な経験が作品に及ぼした影響を——とりわけ狭義の「制作」の観点からは見過ごされがちであるゆえに——あえて特筆すべきことがらとして記しておきたい。なぜなら、指を用いて描くというその特異な描画法と、この山歩きという経験は、両者がともに身体に深く関わっているという点で、およそ互いに無関係であるとは思われないからだ。

絵画における身体性という問題については、ポロックのアクション・ペインティングを筆頭に、先行する事例はそれこそ無数にある。しかしそのなかで篠塚の作品が際立つのは、それが身体的な——しばしば情動に満ちた——動きを直接的にカンヴァスに定着させるのではなく、記憶のなかに沈殿するモティーフとの隔たりを十分に保ちつつ、それを指という極小のパーツによって画布に定着させているからである。

ここには二つの隔たりがある。ひとつはモティーフとの隔たり、もうひとつは身体との隔たりである。前者は、かつてそれを知覚したときの記憶のなかにかろうじて留められる。そして後者は、それを記憶している身体をダイナミックに駆使するのではなく、指先の感覚を頼りにかろうじて繋ぎ止められる類のものだ。数年ごとに居住地を移しながら制作を続けるこの作家は、こうした二重の隔たりを保持しつつ、かつてみずからが目にした光景をカンヴァス上に定着させる。

ここに見られるのは、ありきたりの繊細さや大胆さではなく、むしろ身体的に感受したシグナルを記憶の中に沈殿させ、それを指によって画布に定着させていく密やかなプロセスである。そのとき作家の身体は、そのシグナルを絵画として再生する変換器のようなものに擬えられるだろう。その身体は大地とアトリエのあいだで、断片的に留められたみずからの記憶を地震計のように伝達する。これらの絵画が根ざすのは、現代絵画の生態系からは退いた、そのような異邦の場処である。

註1)以後の二段落の記述は、2016年2月1日に筆者が行なったインタビューによる。